メインページへ

このページのトップへ

今までの釣り歴について 紀州釣りをしたのは 釣り再開 紀州釣りとの再会 色々な釣り場へと 紀州釣りにどっぷりと 本当の紀州釣りとの出会いとは
本当の紀州釣りとの出会いとは

  うぬぼれていた私にボーズの日があると、無性に腹が立ち、なぜ釣れなかったのか検証するようになった。ダンゴが悪いのか、仕掛けが悪いのか、ダンゴ投入するポイントが悪いのかなど、あれこれ修正しながら次回の釣行に生かしていった。鯉釣り以来、釣りというものを真剣に考えたことがなかった私が紀州釣りの魅力にどっぷりと、はまってしまうことになったのである。

  紀州釣りと初めて出会ったのは24歳だが、結局、私の紀州釣りとの本格的な出会いは31歳(1999年)であると思っている。以来、私の紀州釣り人生が始まりました。2000年は前述のように所々でコンスタントに釣果を上げ、その翌年(2001年)の4月1日(エープリルフール)に初の年無し59cmを釣ってから、ますます紀州釣り熱に拍車がかかってしまった。紀州釣りを始めた頃に何回もボーズが続いて嫌になり、チヌの顔を見ずに紀州釣りをやめてしまう人が多いのに、私の場合は早い段階でチヌの顔を見ることができたことによって変な自信を持ってしまい、今もなお紀州釣りを楽しく続けているのである。そして2001年以降はうぬぼれることなく、紀北や中紀,三重県などに遠征し各地で実績をあげることに徹し、腕だめしのために一般の釣り大会にも参加するなど、自分の腕をさらに磨くよう努力している。終わり無き技術向上を追求して

紀州釣りにどっぷりと

  変な自信が付いてしまって、同じ釣り場では満足できずに他の釣り場でもチヌを釣りたいと思うようになり、色々な場所(紀南地方)を開拓していった。でも、どの場所に行ってもチヌは釣れたので、変な自信がだんだんと俺は上手なんだといううぬぼれに変わっていった。南紀で紀州釣りをしていて感じたことは、和歌山県は紀州釣り発祥の地だから紀州釣りが全域で盛んに行われていると思っていたが、それは田辺以北でのこと。それ以南ではほとんど紀州釣りをしている人は見かけない。していても南紀に遠征してきた大阪や紀北の人たちがほとんどで、地元の人で紀州釣りをしているのはごくわずか。だから、紀北でチヌを釣り上げるとギャラリーが集まってきて、ヒーローになれるのに、紀南でチヌが釣れてもギャラリーが集まってこないのである。紀南ではチヌはあまり歓迎されない魚であり、食べる人も少ない。

色々な釣り場へと

  私の釣り人生が再開してしばらくたって、32歳になろうかという直前の11月(誕生日は12月20である)のある日、何を思ったか急に紀州釣りをしたくなり(今でもなぜ紀州釣りを急にしたくなったのか、わからないのだが)、自宅の目の前にある宇久井漁港へと出かけた。水深2ヒロ〜3ヒロという浅い釣り場だったが、いとも簡単に25cmの初チヌが釣れ、その日は23cm〜35cmのチヌが5匹という釣果に大満足であった。過去4回の紀州釣りの釣行でボーズだったのに、こんなに簡単にチヌが釣れるのかと思うと笑いが止まらなかった。ようやく紀州釣りとの再会を果たしたのである。今から考えると、この釣果が変な(?)自信を持つようことになり、自宅近くのこの釣り場に通うようになった。面白いように毎回ボーズ無し、35cm以上のチヌは必ず釣れた。

紀州釣りとの再会

 那智勝浦町に転勤して2年がたち(30歳)、釣りから離れた生活が続いていたのですが、職場で釣り好きの人が何人かいて雑談の中で釣りの話になり、みんなで釣りに行こうということになった。久しぶりの釣行が楽しみだった。渡船で磯へ上がるのは初めてでイガミ(ブダイのこと)釣りを教えてもらった。エサはホンダワラという海草を使うことにびっくりした。「本当にこんなもので釣れるのか?」半信半疑だった。でも海草で釣れた。その後、何回かそのメンバーに連れて行ってもらい、私の釣り人生がめでたく再開したのである。

釣り再開

  上の釣り歴を読んでもらっても紀州釣りという言葉がどこにも出てきませんでしたが、紀州釣りを初めてしたのは24歳のときだった。ダンゴの割り方が難しいというのが第一印象だった。もちろんボーズ(ボラ2匹)でした。その後、3回ぐらいやったけどチヌの顔は1匹も見れずにあまり興味を感じなかったので、その後紀州釣りとも遠ざかっていきました。やっぱり私には鯉釣りしかないのかなあと思いました。そのうち上述の通り、転勤となって釣りもしなくなっていったのです。

紀州釣りをしたのは

・大学生時代と社会人になって〜

  大学生、社会人になっても鯉釣りやアジなどの海釣りをしばらく続けていた。高校生までは自転車で海へ行けるような距離じゃなかったので、車を乗るようになって川釣りより海釣りの方へよく出かけるようになったかと思うと、そうではなかった。海釣りよりも鯉釣りの方が好きだったので、川や池へ鯉釣りによく行っていた。実をいうとルアー釣りが嫌いな私が車にルアー道具一式を常備しています。というのも海沿いを車で走っていて、カマスや太刀魚など釣れているのを見ると、ルアーなら手軽にその場所で釣りができるからである。そして27歳の時、粉河町(和歌山県)から那智勝浦町(和歌山県)に転勤になってからあまり釣りをしなくなった。釣りのメッカ南紀の那智勝浦町で住んでいながら釣りをしないなんてもったいないとほとんどの人は思うでしょうが、当時は新天地での生活に慣れるのが必死で釣りどころじゃなかったというのが本音です。そうしていくうちに釣りそのものをしなくなってしまいました。

  高校生では当時大ブームだったブラックバスのルアー釣りを始めようとルアー竿、両軸リール、何種類かのルアーを買いそろえた。何回かルアー釣りをしているうちに「ルアー釣りは私の性に合わんなあ。」と感じ始め、しだいにルアー釣りはやらなくなっていった。というのも魚釣りとは、「魚の好みなどを研究し、エサの臭いや色や味を工夫し、そのエサを食わせて釣るものなのだ」という私なりのこだわりが根底にあったからである。だからといってルアー釣りを決して否定しているわけではありません。同じ魚を狙うにしても色々な釣方があるのだから、その人の好みの釣方で狙えば良いと思う。というわけで、やっぱり鯉釣りに戻ってしまった。たまに、父親に海に連れて行ってもらい、サビキ釣りでアジを狙ったり、電気ウキで太刀魚やカマスを狙ったり、魚の切り身を落とし込んでテトラ周りのガシラを狙ったりしていた。

・高校生時代

  中学生になると投げ竿とリールを購入し、紀ノ川で吸い込みを使った投げ釣りでの鯉釣りにどっぷりはまり込んでしまった。もちろん練りエサを使うのだが、その練りエサに蒸しイモやおかゆ、小麦粉、サナギ粉など混ぜ、混ぜるものを少しずつ少しずつ変えながら自分独自の練りエサを完成させていく過程が楽しくてしょうがなかった。

・中学校時代

  小学校3年生のとき、竹竿を自分で作って、近くの川でご飯粒をエサにジャコ(オイカワのこと)を釣りに行ったことから私の釣り人生が始まった。しばらくしてグラス竿(今となってはあんな重い竿よく使っていたなあと思うが)を買って、練りエサや蒸したイモの角切りをエサに池での鯉釣りへとはまっていった。このウキ釣りであるジャコ釣りと鯉釣りのノウハウは今でも紀州釣りに結構役立っている

・小学校時代

今までの釣り歴について

紀州釣りとの出会い